REPORT

「東京芸術中学(第2期)」第8回 石田英敬さん


人工知能と共生する、近い未来のあるべき姿を考える
編集者・菅付雅信さんと13人の世界的クリエイターによる『東京芸術中学』。6月4日(土)は記号論者の石田英敬さんによる1回目の授業です。

東京大学名誉教授も務める石田さんによる授業のテーマは、「AF(人工友達)の気持ちってどんな気持ち?ー 21世紀にサイボーグであること」。現在、人工知能の存在が私たちの暮らしに浸透していくなかで、人と技術の関係性の歴史を紐解きながら、未来のあるべき姿を考えていきました。



サイボーグである私たち
車にはAI(人工知能)が搭載されていて人に変わって運転してくれるシーンが現実社会に既に生まれていることや、運転をAIに任せている間にsiriにメールの確認をしたり、音楽をかけてもらったりできることなど。ご自身の例を交えながら、私たちの暮らす世界が人工知能社会が進んでいっていることが示されます。さらには、「実はこの技術は戦争に利用されるために開発されたんです」と、技術に対して批評的な眼差しを向けることの大切さにもふれていきます。

そして、そもそも「そんなAIを利用している私たちヒトは生まれつきのサイボーグである、とも私は思っています」と石田さん。自分たちがサイボークであるというインパクトのある発言に驚きつつも、「脳を外部に拡張させることにより進化を遂げてきた」という人類の歴史を石器時代から辿り、道具や言語や数字なども技術として捉えていくことで、「人がサイボーグである」というフレーズも咀嚼していきます。自分たちが生み出した技術なしでは、生きられなくなっていくこと。いつの時代も人の関係性の中での「気遣い」をしてきていること。古代の石器から現代のスマートフォンまで、歴史を超えた技術の数々なもののなかにある共通項を見出していく授業に、石田先生のご専門である「記号論」の面白さも感じました。


もう一度自由を取り戻すために
パソコンもスマートフォンも自分たちで修理をしたり中身をいじったりはできません。一方で、これらの技術なしの生活はもはや想像できないような状況ではあります。技術と人とのあり方に関して石田さんは疑問を呈します。「今の私たちは当たり前とされていることを当たり前に受け入れてる。でも、それでは私たちは自由な存在であるとは言えないと思います。過去につくられた前提や常識を疑うことを忘れないでください。どのように自由を手にいれるかを考え続けることが大切です」と石田さん。授業のテーマでもある「21世紀にサイボーグであること」を考えることの意味や意義が明らかになってきます。


「AF」の気持ちってどんな気持ち?
そんな石田さんからの課題は、『クララとお日さま』(カズオイシグロ著)を読んでくること。AIを搭載した人型ロボット「AF(人工友達)」と、その周りのヒトとの暮らしが描かれる物語をヒントに、次回の授業では私たちの未来のあるべき姿について考えていきます。

「AF(人工友達)の気持ちってどんな気持ち?」「人々はどんな風に暮らしている?」「この世界はどんなところが問題なの?」。石田さんから投げかけられたこれらの質問に生徒のみなさんはどのように応えていくのでしょうか?次回が楽しみです。

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