「intimacy lessons」イントロトーク『「いとおしさ」から捉え直す衣食住』を開催します
GAKUでは、リジェネラティブな都市を目指す三菱地所株式会社の協賛のもと、様々な社会課題に直面する都市や社会のあるべき姿を10代とともに探求するプロジェクト「Yurakucho Earth Summit(YES)」を2024年度より実施しています。その第2期として今年度は、哲学者の鞍田崇が提唱する「いとおしさ/intimacy」をテーマに、「ファッション」「食」「都市」の3つのクラスを開講します。
活動の導入として初回授業では、「民藝のインティマシー:『いとをしさ』をデザインする」の著書である哲学者・鞍田崇さんによるトークイベントを実施します。この活動をより広く知っていただく機会にするために、生徒の皆さんと共に、一般の方のご参加も受け付けたいと考えております。10代の方に限らず、どなたでもぜひご参加ください。
intimacy lessonsについて

肌に触れる装い、身体に取り込む食、身を置く都市。わたしたちは、それらへのいとおしさを感じることができているでしょうか?そこにいとおしさを感じたいという気持ち。それらを考えることは、一体何を見出すことになるのでしょうか?
「民藝のインティマシー:『いとをしさ』をデザインする」を著した哲学者の鞍田崇は、インティマシーを「いとおしさ」ととらえ、「古語において『いとほし』を漢字で表記をする際に、愛情の『愛』ではなく、労働の『労』の字をあてている事例がある」ということに着目していました。労(ねぎら)う。労(いたわ)る。鞍田は、生病老死をも肯定し「その生涯に寄せられる慈しみの情愛」こそを、いとおしさと言います。
社会に応答しながらも、折り合いをつけるというよりも、社会そのものを前進させる。地球環境の限界と言われるプラネタリー・バウンダリーの時代において、矛盾を常に孕むことになるクリエーションに向き合うことで、クリエーションや生を肯定し直す(「Yurakucho Earth Summit」の略字であるYESには、ジレンマの肯定という意味合いが掛けられていました)。雲を掴むような話ではありますが、向かうべき方向感覚はそのように掴んでいます。
YESの第2期となる「intimacy lessons」。「fashion as narattive」「関係美食論」「いきつけ都市論」の3つのクラスにより構成され、それぞれの探求やクリエーションの成果は小冊子にまとめていく予定です。
開催概要
日時:2025年9月20日(土)15:00〜17:30
会場:SAAI Wonder Working Community(東京都千代田区丸の内3丁目3−1 新東京ビル)
対象:どなたでも
定員(一般参加):15名程度/先着順 参加費無料
登壇者:鞍田崇(哲学者/明治大学理工学部 准教授)、熊井晃史(GAKU事務局長)
一般参加のお申し込みはこちらから
**定員を上回る多くのご応募をいただいたため、現地参加とともに、現在オンライン配信へのご参加も受け付けています。ぜひこの機会にご参加ください。
[主催]GAKU [協賛]三菱地所株式会社
登壇者プロフィール

鞍田崇(哲学者/明治大学理工学部 准教授)
1970年兵庫県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。現在、明治大学理工学部准教授。近年は、ローカルスタンダードとインティマシーという視点から、現代社会の思想状況を問う。著作に『民藝のインティマシー「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会2015)など。
https://takashikurata.com/

熊井晃史(GAKU事務局長)
「GAKU」事務局長の他、ギャラリー「とをが」を主宰しつつ、一貫して、創造性教育の現場に携わる。編集・聞き手・執筆を手がけたものとして、『公民館のしあさって』南信乃介、モハメッド・アブデルミギード、アブデルミギード・美幸他、『頼まれなくたってやっちゃうことを祝う』田中元子、若林恵、猪瀬浩平(自主)など。
参考
当日のトークの補助線として、鞍田さんのテキストを中心にいくつか文章を抜粋しました。ぜひ、ご来場に合わせてお目通しください。
語義からいっても、いとおしさには、苦しさ、憐れ、不憫、そういう意味が根っこにあります。もとは、自分自身に関わる事柄でした。それが、同様の苦しさのなかにある他者への同情となり、転じて、そうした状況に陥りやすい小さいもの、弱いものにとりわけ向けられる情愛を表すに至りました。また、あわせて、こうした点を端的に示すものとして興味深いのは、古語において「いとほし」を漢字で表記をする際に、愛情の「愛」ではなく、労働の「労」の字をあてている事例があることです。考えてみれば、日々の営みそのものがまさに労働です。とりわけ、衣食住全般に自らの手でまかなざるをえなかった時代の人にとって生活とは即労働であり、苦しみそのものを意味するものでもあったでしょう。といって、消費社会になった現在においても実質的には変わりません。時代を問わず、個々の営みは変わろうとも、みな生きることに懸命です。〜中略〜もとよりもの作りは労働の最たるものです。その意味においても、いとおしさとは、なによりもまず、もの作りに従事する人々の日々の暮らし、その生涯に寄せられる慈しみの情愛にほかなりません。(鞍田崇「民藝のインティマシー:『いとをしさ』をデザインする」より)
どんな農家でも−どんなにみすぼらしくても−これは真当の住居だという気がする。安心するに足る家だという気がする。喜んで生命を托するに足る気がする。永遠な住居だという気がする。これこそ日本の姿だという気がする。小さいなら小さいままで、大きいなら大きいままで、どれもこれも土地の上に建ったというよりは、土地の中から生え上がったと言いたい。(河井寛次郎「火の誓い」より)
HowとWhy、生と死の対比に注目していえば、この対比を「美しさ」と「いとおしさ」の対比として理解することもできます。「美しさ」は、「いかに」のひとつ、生き方のひとつ、生き方の表現の仕方のひとつ。それに対して、「いとおしさ」は「なぜ」のほう。なぜ生きるのか、死という現実の可能性への考慮から、そこにものがあること、ここに私がいること、存在の根拠に思いをはせる。それはまた、確かにいまここに、ものがあり、私がいるという実感のリアリティ、それがあまりにリアルであることにおののく、というか感動するというか、そうした感覚ではないでしょうか。(鞍田崇「民藝のインティマシー ‐「いとをしさ」をデザインする‐」より)
ひとは、終わらないものをいとおしく思うことはありません。いつまでも残っているもの、放っておいても問題ないものをいとおしいとは思いません。いとおしいものは、かならず限りがあります。はかなかったり、弱々しかったり、小さかったりします。それは物理的な意味での大小や強弱から図られるものではありません。あらゆる物事が時間の中にあり、生きることが死ぬことに等しい現実において、すべてのものは、限りあり、はかなく弱く、小さきものというべきでしょう。そうした現実の認識と「いとおしさ」の感受は表裏一体のものです。(鞍田崇「民藝のインティマシー ‐「いとをしさ」をデザインする‐」より)
ハイデガーは主著『存在と時間』の中で『世界内存在』という独特な概念を掲げていますが、これは『僕らは絶えずなにがしかの世界や状況の中にある』ということを意味します。そうして世界に親しんでいることをドイツ語で『Vertrautheif』と言い、とりわけ彼は『その中で出会えるものとの親しみ』を軸に議論を進めていくんです。僕はいま『インティマシー』という言葉を掲げていますが、振り返ってみるとその原点は、このハイデガーの言う『世界との親しみ』にあったのだと思います。(「民藝」の思想的意義──「インティマシー」から考える|鞍田崇(前編))
イベントに関するお問い合わせ
GAKU事務局 佐藤海
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