REPORT

「東京芸術中学(第4期)」第26回 小林エリカさん


課題は「身近な場所の歴史や物語を調べてくる」こと

編集者・菅付雅信さんと13人のクリエイターによる『東京芸術中学』。12月14日は、作家、漫画家、アーティストの小林エリカさんによる2回目の授業です。前回の小林さんの授業では、彼女の著書『女の子たち風船爆弾をつくる』の舞台となった東京駅〜丸の内エリアのツアーを実施しました。その体験をもとに、小林さんから出された課題は「身近な場所のことを歴史や物語と共に調べ、歴史ツアーのような形式でプレゼンテーションをする」ことです。


身近な土地に眠る歴史や物語りを掘り起こし共有する

今回の授業は、自分の身近な場所の歴史や物語を知るため、それぞれが様々な手段やアプローチでリサーチを行い、クラスの皆と共有するという貴重な時間となりました。

なかには、戦争の歴史に触れた生徒たちも。招き猫で有名な「豪徳寺」が地元の生徒は、『ふるさと世田谷を語る』という郷土史から、第二次世界大戦末期にB29が豪徳寺あたりに墜落したと書かれている記事を発見。その際に、爆撃機の油が漏れ出し匂いが充満していたり、破片が散乱していたことも書かれていたと発表してくれました。発表を聞いた小林さんは「特に、匂いに関する過去の記憶を郷土史から掘り起こし共有してもらえて嬉しかった。油が不足してしまった日本では、最後の方は飛行機に松の油を使用していたそう。そのため、B29は墜落すると白い煙が出るが、日本の飛行機からは黒い煙が出ていた。それもあり、当時B29の油の匂いも皆にとって珍しいものだったのではないかと、発表を通して感じることができた」とコメントし、生徒が見つけた情報の重要性を強調しました。

品川区に住む生徒はYoutubeチャンネルを通して、当時の空襲の体験者の声を見つけたそうです。500機近いB29が配備され、2日間で68名が亡くなった品川での空襲。規模の割には負傷者が少なく、不幸中の幸いと言われていたそうです。「爆弾が落ちてくるたびにみんな道端でしゃがみ込んでいた。家族で励ましあって、夜が明けるのを待ち、また元来た道を戻る。そばにはまる焦げになった人がひっくりかえっていたり、本当に地獄のようだった。それでも帰り道に再会を果たせたお父さんは、すすで真っ黒の顔で家族を見てニコッと笑っていた。その顔が忘れられない」と語られた体験談を、言葉を詰まらせながら読み上げてくれました。そして、「罪のない人がある日突然無差別に殺されてしまう。そう考えると戦争の恐ろしさをより強く感じた。今回調べるまで、自分が住んでいる街でこんなに悲惨な出来事があったとは、思いもしなかった。私が住んでいる街で、たくさんの人が苦しんで、亡くなって、大事な場所を失っていた。聞いているだけで胸が苦しくなり、ショックだった。私には夢があり、家族がいて、色んな場所に遊びにいけている。でも、当時はどうだったんだろう。調べる中で、記事もあれば、絵を描いている人、語り部をしている人もいて、色んな人が伝えていくことの重要性を感じた」と続けました。発表にしっかりと耳を傾け、「伝えたいという想いで様々な形に残してきた人たちの気持ちを、こうやって受け取って私たちに手渡してくれた。日本の過去に自分たちが何をして、何をされて、自分が住む場所で何があったかを知ることはとても重要」と小林さんは語りました。


自分たちが歴史の延長線上に生きているということ

このほかにも、米国バージニア州で20世紀にアフリカ系アメリカ人の子供たちにより良い教育を提供するため活動した女性教師 Mary Ellen Hendersonの物語や、世田谷公園、駒場公園、烏山神社の歴史を発表してくれた生徒たち、「武蔵公園の楠の木の下」というタイトルで自分の記憶を絵にして発表した生徒もいました。

発表を聞き、「僕らは普段、自分たちが歴史の延長線上に生きているということを忘れがちだけれど、時々立ち止まり歴史を感じることは大事。自分は歴史の中のどんなことを継承したり、影響を受けていたりするのか、時々街の中から感じていくことを意識してみてほしい」と語った菅付さん。

小林さんは「皆さんそれぞれ、私の予想の斜め上を行くような発表をしてくれた。こんなに多様な方法で、自分のよく知る場所の歴史を深く知ったり、その歴史を皆にシェアし語り合ったりすることができると、私自身も知ることができた。知らないことばかりで、非常に勉強になりました」と言葉を贈り授業を締めくくりました。

執筆・写真:松村ひなた

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