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トークイベント「シマオカさんに、会おう」を開催します

シマオカさんに、会おう。

訪ね行かねば会えない人が、来てくれます。
尋ねたいことはたくさんありますが、
とりあえず集うことが叶えば、
それでいいと思えても来ます。

四万十川の源流域ではかつて、
原子力発電所の建設計画が立ち上がりながらも
それが中止に至った歴史があります。
シマオカさんは、
その地域史における中心人物でもあります。

それらの経緯は、
文化人類学者の猪瀬浩平さんによる
「むらと原発」という書籍に詳しいのですが、
そこで猪瀬さんはシマオカさんの語りを
「現代の民話(フォークロア)」であると言います。

今回の、この機会。予定調和的な時間には
ならないように思いますが、
それが、その今を生きる
「現代の民話」であることの
証であるような気もします。

社会問題への向かい方、
クリエーションにおける社会的公正、
文化人類学という学問のあり方など。
なにかピンとくるものがあれば、
是非、足をお運びください。

概要

日時:2024年11月28日(木)17:00-19:00
会場:GAKU(渋谷PARCO 9階)
対象:10代を中心に、どなたでも
参加費:無料
*差し入れ歓迎
定員:最大30名程度
予約:こちらのフォームよりご予約ください
*当日の参加も承りますが、事前予約優先となります

登壇

島岡幹夫
1938年高知県高岡郡四万十町生まれ。窪川高校卒。近畿大学法学部(2部)中退。大阪府警察官を経て25歳から農業を営む。1979年前後から本格化した窪川原子力発電所建設計画阻止へと立ち上がる。窪川町原発反対町民協議会、窪川町郷土(ふるさと)をよくする会のリーダーの一人として活躍。1983年に窪川町(現・四万十町)町議会議員当選。後に町議会長。1988年1月、原発推進町長の新年度予算での原発関連予算計上見送りを実現して、窪川原発計画を事実上計画断念に追い込む。原発阻止闘争と同時期から有機・無農薬農業を展開する。

猪瀬浩平
1978年埼玉県生まれ。明治学院大学教養教育センター教授。専門は文化人類学、ボランティア学。1999年の開園以来、見沼田んぼ福祉農園の活動に巻き込まれ、様々な役割を背負いながら今に至る。著書に、「むらと原発――窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと」(農山漁村文化協会)、「分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる」(生活書院)、「ボランティアってなんだっけ?」(岩波ブックレット)、「野生のしっそう――障害、兄、そして人類学とともに」(ミシマ社)などがある。

熊井晃史
「GAKU」事務局長、ギャラリー「とをが」主宰など。一貫して、創造性教育の現場に携わりながら、聞き手や編集や執筆も手掛ける。渋谷キャスト七周年祭の記念冊子として「『頼まれなくたってやっちゃうことを祝う』田中元子、若林恵、猪瀬浩平」を製作したことで、猪瀬さんと交流が始まり、さらには偶然にも、旧友が四万十で木工作家を営んでいることから(その友人の子どもたちはシマオカさんに飴を貰っていた仲)、新旧の縁に後押しされるようにして、シマオカさんのご自宅にもお邪魔することが叶う。


写真:左からシマオカさん、猪瀬さん

参考

当日のトークの補助線として、猪瀬さんのテキストを中心に4つのキーワードを抜き出しました。ぜひ、ご来場に合わせてお目通しください。

【シマオカさんの「雑種性」】
私が島岡に惹かれたのは、ひとえに島岡という存在がもつその雑種性による。結核となって地元窪川に戻ってからは自民党地方組織幹部となりながら、反原発運動にかかわり「永久追放」された。(中略)反原発運動をきっかけに国内の原発計画に直面する地域を回るだけでなく、ノーニュークス・アジアフォーラムの活動を通じて韓国の反原発運動に参加し、有機農業運動を通じてタイのイサーン地方で農民支援のための基金をつくった。島岡の基金は溜池掘りや農業機械を購入しようとする農民に低利で貸し付けられる。島岡は土佐弁しかしゃべらないが、それでも多くの村人に囲まれ、身の上話を聞き、無農薬での栽培技術や堆肥作りの指導も行なう。(猪瀬浩平「むらと原発」より)

【現代の民話(フォークロア)】
島岡の語りは、現代の民話(フォークロア)である。それは、人間と自然の混濁した世界を語り、この世にある存在が抱えざるを得ない生老病死の苦悩や、喜怒哀楽の煩悩を露にしながら、それでもいきることへの愛にあふれている。(中略)命すらも科学技術が管理できると考える、あるいは命すら経済発展の犠牲にしようとする、近代的思考の野蛮さを一刀両断で切り捨てる。その一方で、一人ひとりの人間が本来持っている優しさのようなものも、しっかり語られる。(中略)細部までが、本当に真実であるのか分からない。そのことを確かめようとする学者じみた態度すらも野暮に覚えるほど、その語りは窪川に生きてきた人々の姿をまざまざとよみがえらせる。(猪瀬浩平「むらと原発」より)

【むらの知恵】
窪川町における原発立地をめぐる住民投票条例の制定は、これまで原発反対運動によってもたらされた画期的な条例と評価されてきた。しかし、私は条例が制定されたことよりも、制定された条例にもとづく住民投票が行われなかったことこそが重要である、と考える。住民投票はあくまでも多数決の論理であり、その母集団は行政的に制定された単位としての窪川町民である。むらのように延々ともみあうことを担保するような、生活と生産の共同性も存在していない。性急に住民投票を行なえば、負けた側が負う傷は大きくなり、勝った側と負けた側の関係の修復は困難になる。(猪瀬浩平「むらと原発」より)

【雁皮(がんぴ)】
猪瀬さんは四万十の雁皮という、和紙の材料となる植物をリサーチしている。その深堀りに研究者のスゴみを感じるのですが、その雁皮へと猪瀬さんをいざなったのも、シマオカさんであるらしい。

雁皮は、和紙植物として知られる。人間の生活と深く関わりながら、栽培が難しいため人の営みに完全に取り込まれることなく生息してきた、不思議な植物だ。交わり、すれ違い、翻弄し、翻弄され…。雁皮は、調和と征服のあわいで、この世界をしたたかに生きのびる。そのことは一体、何を意味するのだろうか。気鋭の人類学者による、人と雁皮をめぐる探究の〈物語〉。 (オンラインマガジン「生き延びるブックス」内 猪瀬浩平「雁皮は囁く」より)


文・写真:熊井晃史