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第28回後編

宇川直宏

【後編】アーカイブを背負った人としての教師観、現場観

#音楽 #アート #メディア #リベラルアーツ

人を管理しようとしない学び?ギフトとしての学び?/大学で教え始めたら物欲がなくなった/「心の中の蔵」を24時間開放、持ち帰り自由、それが教育/でも、いつか形を変えて戻ってくる「蔵」に/クリエイター側も、「教える」ことで変わっていく/2002年から始めていた遠隔授業の様子/先端技術と教育の関係?/フィジカルな場所の必要性?/生徒と向き合う授業が配信に向かない・・・/試行錯誤しながら新しいシステムを

 

*前編の様子はこちらからご覧いただけます。
*今回はテキストでも対談の様子をお伝えします!

人を管理しようとしない学び?ギフトとしての学び?

(熊井)「今回宇川さんには恥ずかしながらラブレターを贈らせていただいて。とかく、教育現場って他人を意図的に動かそうとしすぎている部分がやっぱりある。その意図から自由になった学びってあるよねって思っていたときに、宇川さんの活動ってラブレターに書いたように「言語のシャワー」に似ていると思っています。「言語のシャワー」って、例えば0歳児に周りの大人がめちゃくちゃ話かけるとか。でも0歳児がわかっているかどうかはわからないんですよ。でも、わかるから話すのではなくて、湧き水のように言葉のシャワーを浴びせる。贈り物みたいな感じ。そうすると子供があとからわかってくる。この「あとから」が重要だと思うんです。宇川さんの活動とか宇川さんの本って、本当に言葉のシャワーがすごくって、読んでいてわかるっちゃわかるけど、振り返って(初めて)「ああ」みたいなことがすごい多いんです。それは宇川さんが読者を管理しようとしてないというか。」
(宇川)「そうですね。逆に投げっぱなしとも言えますけどね(笑)。」
(熊井)「教育における贈与ってそういうことだと思うんです。僕本来学びはギフトであるべきだと思っているので、最終的には贈与としての学びについての議論を深めていきたいです。」
(宇川)「贈与としての学びね。すごく響いてくるんです。僕2002年から大学で教鞭をとり始めて、師匠である田名網敬一さんのご紹介で京都造形芸術大学の教授に34歳でなったんです。34歳から専任教授をやってる。それを18年間。だから秋から冬にかけては18年間毎週京都に通ってたんですよ。教鞭を取るまでは、2002年まではヘヴィーなコレクターでした。ノイズ/アヴァンギャルドのレコード集めたり、当時ラジカセも集めていて、スカムやトラッシュなエクスプロイテーションフィルムから歯ブラシまでなんでも集めてたんですよね(笑)。なんですけど、2002年から大学で教えるようになって、その頃トイプードルも飼い始め、うずら12匹、カブト、クワガタも20匹くらい飼っていたんですけど、その時期にさらに生徒が35人。愛の注ぎ方に関してはどの生命に対しても変わりないと思い始めて!そういう意味では35匹と言いたいですが、ポリコレ、コンプライアンス的に現在「匹」とか言ったらお父様お母様からお叱りを受け、そして世論から閉め出されますよ。そしてこの時期「育欲」が芽生え始めたことにあとから気づくのです。これは物欲と反比例してるんです。僕は教鞭をとるようになって、そこから18年間「物欲」が消え失せました。やばいでしょ(笑)。その代わりに「育欲」が前のめりに膨張し始めた。育てる欲求に駆られ、18年間、沢山の存在を育ててきたつもりです。しかしクワガタは年越せずに亡くなったり、うずらもどんどん死んでいって、まだトイプードルのTV君だけは今も元気に生きている。そして毎年巣立っていく生徒が数十人、もうこれまで受け持った生徒は全部1000人超えてると思います。最後のクラスは120人くらいいましたからね(笑)。そんな歴史を重ねていって育欲の芽生えに気づき始めた。今まで閉じていた様々な蔵の鍵を開けて、秘蔵のお宝を開陳し、24時間解放しておくんです。それが教育だと思っています(笑)。」
(熊井)「それもっと聞きたいです。」
(宇川)「心の中には小さな蔵や大きな蔵、透明な蔵、鋼鉄の蔵、いろいろな蔵を皆さんたくさん抱えているのですよ。そこにいろいろなアーカイヴを収蔵しているんです。そこからたまに秘宝を出したり、引っ込めたりしながらリレーションシップを保っている。でも育欲が芽生えると、鍵の開けっぱなしが前提で、そこからお宝をなんでも持ち出し可能にするのです。今まで34年間抱えてきた経験や知識、思想、哲学、センスのアーカイヴの鍵を開けっぱなしに(笑)。いつでもそこから何でも持って行っていいよっていう姿勢が教育の本質だと思います。こちらがその体勢でいれば、生徒は何でも持っていってくれるのです。持っていくことによって、自分の経験値と地続きになるので、成長していく過程を親身に実感できるのです。その成長を実感できたら、それが自分の喜びとして還ってきます。そして、生徒たちが持っていったものが彼/彼女ら若い存在によってアップデートされてまた戻ってくるのです。そうすることによってどんどん蔵の新陳代謝が上がってくる。秘蔵していたお宝が磨かれ、輝きを増してきて、若く豊かになっていく。このように蔵の機構が育欲の発生によって、構築されていきました。物欲って結局所有欲でしょ。所有する観念すら浅はかだと思いはじめるんですよ(笑)。所有しているものは共有しないと意味がないっていう考え方にどんどん変わっていくのを、2002年34歳から52歳になるまで、インターネットの進化とともに日進月歩で感じていた。そして教えられる側も教える側もどんどん豊かに成長していった。さっき贈与っておっしゃいましたけど、ギフトエコノミーは交換行為ですが、前提として返ってこなくてもいいのです。与えている側が勝手に成長を喜び、その喜びを反射させて活性化していくんです。なので蔵の中はガラズばりなんでしょうね(笑)。草間彌生さんのインスタレーションとかチームラボのミュージアムのように(笑)。それに気づいたんですよね。」
(熊井)「すごいわかるんです。多くの人が「ギブアンドテイク」みたいなメタファーで語りすぎている。宇川さんは「ギブ&ギブ」だから(笑)。
(宇川)「じゃないと10年間も無料配信なんかしないでしょう。」
(熊井)「直接的であれ間接的であれ還ってくるみたいな。そのニュアンスって今ものすごく重要だなと感じています。」
(宇川)「やっぱり血縁関係のある存在に対しては育欲って目覚めやすいですよね。何でかって言うと、経済圏をともにしつつ、情緒的な繋がりが前提としてある。そのようにある種、ファミリーツリーにおいて、一心同体であるという前提があるから。例えば戸籍上の家族としての定義に対して、子供が成人するまで与え続けるっていうことが当たり前とされている。実感としては、自分の子供に与えることは自分のDNAを宿していること。つまり、自分の歩んだ人生を贈与して、それを地続きに発展していってもらえる。生命の襷を渡し、自分史を重ねていってくれる存在だからこそ、譲渡できるので、育欲が芽生えるのだと思うのです。でも、そんな関係や定義を一切無視して、今日会ったばかりだし、まだ名前もうろ覚えなのに贈与する行為。これが教育の本質だと思っています。だから選ばないんです。与える側が誰なのか?そんなことはまるっきり関係ないんですよ。あれっ?わかります?(笑)」
(熊井)「太陽みたいなものですよね(笑)。」
(宇川)「近いのですが、違うんですよ(笑)。太陽光を浴びた人々の成長の過程を、一定期間太陽側は見ているかどうか?その問題が決定的に違います。そのことが授業という形態のもとに成立しているのです。授業の中にはマナーがあるので、そのマナーに則った贈与である。マナーっていうのは、別に理由があれば遅刻してきてもいいけど、きちんと話を聴き、学んだことをレポートにするとか作品へと昇華させるとか。それが成果物であって、その果実を見ればこの授業がどう堆肥として有機的に活かされてきたのかが一目瞭然。結局はそういうこと。たとえどんな成果であれ、実を結んだ存在を愛おしく感じること。この教え/育てる行為を授業という贈与の儀に注入しているのですが、その贈与をルールと呼ぶと義務教育になるので、マナーと呼びたいのです。そういったマナーさえあれば、多様なシステムとしてエネルギー循環を担保できる。いまこのエネルギー循環を授業という形態を通して語っていますが、DOMMUNEにおいては、この贈与を配信でおこなっています。しかも無料の純粋贈与です。素敵なつぶやきやで循環させてくれるビューワーもいるし、投げ銭という資本主義的な”世界システム”に接続した形で反射してくれる人もいる。けど、8割方は誰が観ているのか、聴いているのかもわかりません。数字だけでその存在が可視化される。思うことあり、去年大学を辞めたので、現在は、そんな環境の中で贈与しているんですよ。見返りは一切求めない。授業料も取らない。なのに本気で文化を切り取り、世界に拡散している。だから開局して10年、DOMMUNEの贈与は浸透し、活動しやすい環境がじわじわと整ってきました。これが力学だと思いますよ。しかし、そうこうしているうちにコロナ禍が訪れ、全世界は一気にDOMMUNE化しました。インターネットはマスになり、贈与経済ではなく、より貨幣経済化してしまった。だから改めて、今、ポストパンデミックにむけて、新しく鏡ばりの蔵の運営について考えないといけない(笑)。」
(武田)「もう大先輩ですから。僕らもギブの姿勢でいきたいですね。」
(熊井)「GAKUをやり始めて、通っている子供達がどう感じるかっていうことを大切にしていきたいっていうことを大前提に、関わってくださるクリエイターの方々が良い顔になっていく瞬間を見るんです。まさにつまりそういうことですよね。幅広い身でのクリエイターが学びに関わることによってクリエイションが活性化していく側面もやっぱりあるんだなと。案外そこって語られてこなかった気がして。教育の場なので子供のことばっかり語られているんですけど、案外関わったクリエイターはどうなのかっていうことも語られるべきですよね。」
(宇川)「それが34歳、2002年の大学教授1年生だった自分なんですよ。いかに自分が変わっていったのかをさっきから話しているんですけど、それを同じ体験をGAKUの講師陣の方々もされているんだなと思います。」

先端技術と教育の関係?

(熊井)「試行錯誤の真っ只中っていう感じではあるものの、まさにそういう感じだと思っています。話楽しすぎて時間あっという間に時間がすぎていくのでトピックをつなげます。DOMMUNEの前身でもあるMicro Officeも含め、大学で教えられていた時に、今の配信システムがない時代から学びの現場とDOMMUNEやMicro Officeを繋いで授業をされていたじゃないですか。あれは何年ですか?」
(宇川)「2002年。1年目から番組制作の授業をしていましたよ。2002年ってYouTubeもまだ浸透していない時代。YouTubeは2005年、ちなみにUstreamは2010年に浸透。その8年前にもう番組制作の授業をやっていました。とんでもないでしょ?DOMMUNEを10年前に開局していたとは、現在のストリーミング時代を予見していて、すごいってコロナ禍において改めて語られていますが、その8年前、つまり18年前から既に番組制作の授業やっていました。」
(熊井)「とんでもなさすぎてわからない部分があるのでもう少し詳細もらってもいいですか?」
(宇川)「appleの「i sight」と「i chat AV」っていうビデオ会議のブレークスルーがあったんですよ2002-2003にかけて。今で言うzoomの原点。skypeの時代にマッキントッシュ用のskypeが出たんですよ。その年から僕は大学教授に就任し、京都造形芸術大学で教鞭をとることになりますが、京都に通わないといけない。「これは大変だな」と(笑)。僕はappleからサポートを受けていたので「i chat AV」をいち早くいただき「これは授業に活かせるぞ」と。SDサイズでしたが、既に8年後に登場するU streamくらいの解像度でビデオチャットとして機能し、それをもう授業に使っていました。だから配信ではないんですよ。ビデオチャット。今熊井さんは九州にいらっしゃる。(当時は)これが京都だとすれば、僕たちは渋谷のMicro Officeにゲストを呼んで徹子の部屋みたいな番組をやっていた。京都側はそれを観てるんです。で、その合間に、京都の生徒たちがバラエティー番組を生で廻しながら発表していく。東京側もそのバラエティーに視聴者の立場で参加して、双方向のコミュニケーションを形にしていった。あれは驚異だと思うんです。珍しかったので『BURUTUS』とか『SWITCH』とかが取材にきてましたね。」
(熊井)「ある種生徒が放送局として番組を作っていく中で、生徒たちが小さな社会を編成していく感覚があって、そこでの学びが必要だよねってことをおっしゃていると思うんですが、、、」
(宇川)「言ってましたね。番組を作るっていう構造自体が社会の縮図に見えていたんですよ、当時は。例えば放送局のTV制作の役割分担を見ていると、ディレクターがいてプロデューサーがいて美術さんがいてカメラマンがいてスタイリストがいてメイクさんがいて。それぞれ役割を分担して一つのクリエイティヴが成り立っているでしょ。それを学生全員が担当し、次の番組=授業では別の役割を担って、体験し直すカリキュラムを導入したんです。二週間に一回番組をやっていた。狂ってるでしょ?しかも7時間。」
(武田)「7時間(笑)。」
(宇川)「DOMMUNEより長いのですよ。狂気のカリキュラムですね。制作会議っていう名目で京都で授業をやって、その一週間後には双方向の番組を生で行う。毎回東京側にはゲストを呼んで。浅野忠信、野田凪、石野卓球、テレビマンユニオンの社長、とかそういう素敵なゲストが毎回登場でした。」
(武田)「何人くらいの生徒がいらっしゃるんですか?」
(宇川)「35人くらいですかね。その番組制作の役割分担を社会の縮図として捉えていた。例えば卒業後に現代アーティストとしてデビューできるのは一握り。グラフィックデザイナーになったり、ファッションデザイナーになったり、ウェブデザイナーになったり。もしくはいきなり結婚して公園デビューする人もいる。卒業後の人生なんてわからないし、希望通りに行かない場合もある、だからこそ様々な立場を授業の一環として体験しておけば、卒業後に効いてくるはず。そういったコンセプトでシラバスを構築していた。いろんな役割を経験しているから卒業後にどんな役割を担当しても補えるというか。そういう学びを得て巣立って欲しかった。今だにあの授業が一番面白かったっていってくれる生徒がめちゃくちゃいて(笑)。嬉しいですよ。生徒は普通に今もDOMMUNEに遊びにきてくれますからね。」
(武田)「今のお話と「これでいいのだ」が深く結びついてるなと思いました。なんでも「これでいいのだ」ではなくて、すごく準備されてなんでも受け入れられる体制にするけど、結果何がおきるかわからない。それを受け入れて「これでいいのだ」っていう。そういうのはすごく大事だし僕らもそれを意識していかなとなと改めて思いましたね。
(熊井)「僕は教育系の実践をしていたんですが、今思い出していたのがフランスのフレネ教育。これはWW2後すぐの話なんですが、当時最先端テクノロジーだった活版印刷みたいな印刷機械を学校に持ち込んで、子供達が今で言うZINEを作るみたいな実践が広がっていくんです。それって子供達からしたら、最先端ツールが来て、いろいろ表現しながら学んでいくみたいな。気づいたら学校っていうのがそういう場じゃなくなった。良くも悪くも博物館。どういう風にそういった技術を活かしていけばいいのかは今だに学校は悩み中ですが、宇川さんの話を伺っていくとフレネ教育とシンクロしている部分もあるなと。」

フィジカルな場所の必要性?

(熊井)「DOMMNEの「D」が、「COMMUNE」の「C」を「D」にしたみたいなお話と2002年の生徒さんのコミュニケーションも繋がっていくなと。「やっぱりDOMMUNEだ」ってなっていくんですよね。」
(宇川)「繋がっていくと思います。テクノロジーを導入した教育もそうですけど、シュタイナーの教育ってむしろ逆でしょ?テレビでさえ禁じられていて、今も積み木使ったりして、人間学に基づいていますよね。教育を一つの芸術であると捉えている。テクノロジーやメディウムを使ったとしても、それも日進月歩で進化していて、トレンドによって塗り替えられる。結局最先端の技術を使ったところで教育の根本にある理念は変わらない。時代によって何を選び取るかだけだと思うんです。こうやってzoomを様々な教育機関が使い始めたのはすごく価値があったと思う。だけどそのヴァリューに埋没してもいいのか?。このコロナ禍を脱出したらフィジカルな教育の復権の場を考えていかないとダメだと思っています。じゃないと大学っていう教育機関の意味がなくなる。現状のままだとオンラインサロンと変わらないでしょ?偏差値も疑ってかからないといけなくなる。名門や、由緒や、お墨付きの学び舎の価値はどんどん薄れていく。フィジカルな現場で直接身体的な交流を持ちながら、空間を共有し、一つの物事を成し遂げていくワークショップが有効に活かせる現場じゃないともう大学としての価値はない。っていうか、普通にオンラインサロンでいいでしょう、となっちゃう。僕自身、義務教育は必要だと思ってます。義務教育という制度こそ人間の芽の部分を育てている。しかし、これこそオンラインでいい。だって教科書があるから。教科書ってその年に全国で共有されている道しるべでしょ?それがあるのなら小学校の先生は一学年に対して、一科目、究極には一人でもいいと思います(笑)。一人の先生の授業を100万人の全国生徒が同時に聞けばいい。教科書に意訳は必要ないでしょ(笑)。その先にある大学教育だったり、GAKUのようなスペシャルな学び舎こそがフィジカルに広まっていけばいいんじゃないかなって思っています。いじめ防止にもなるし。僕は無理やり通学しなくてもいい派なので。SNSでのサイバーなメディアリンチも実際にフィジカルな学校では蔓延っていていて、大人たちは対応しきれていない。そういうものを乗り越えるためにも義務教育はzoomでいいと思う。それ以外の教育の現場が外に開けてれいばいいんじゃないかな。そこに大学もあるしDOMMUNEもあるしGAKUもある。。」
(武田)「GAKUには学校にあまりいっていないけど優秀な子もくれば、学校でも優秀な子もくるんです。そういう人たちは学校では交わらないですよね。でもGAKUで同じアジェンダについて彼らが語り合っているのを見ると、フィジカルな場の必要性を強く感じます。でもそれをオンラインをずっとやっていらっしゃる宇川さんがおっしゃるのは、、、」
(宇川)「僕は真剣にオンラインをやりながら、真剣に現場を構築してるので。DOMMUNEはずっと現場至上主義です。だから現場の音が一番いいし、現場の体験を最も重要だと考えている。だから海外のアーティストが来てもリピートが多いのです。なぜなら音がいいから、つまりフロアの空気がいいから。」
(武田)「僕らも実際に行かせていただいて。すごく面白かった。」
(熊井)「現場至上主義っていうのはおっしゃる通りな部分があり、さらに突っ込んでお聞きしたいのは何レイヤーかの現場が立ち上がるみたいニュアンスもありますよね。配信しながら宇川さんはチャット上でコメントに返信したりもしていて。チャット上も一つの現場。いくつかの現場がある中で色々な体験ができるはず。そこらへんのレイヤー感について、それぞれの現場感についてお伺いしたいです。」
(宇川)「いつも例に出しているのは、同時に三つの現場がるある。第一はスタジオ。直接身体が交流を持ち空間を共有する現場。第二はその現場を覗き見る環境。今ならYouTubeでそれぞれの環境からこのスタジオを覗き見ている。それが第二の現場としてのライブストリーミング。三つめがタイムライン。現場にいる人もそれぞれの環境で見ている人も体験をテキストで共有できる現場です。例えば、昼間1時のLA。昨日徹夜で入稿したから今起きたばっかり。大雨が降っていて、DOMMUNEのページを開きながら朝食を食べているっていう環境かもしれない。もしくは佐渡島、時差はないので23時、電車に乗って自宅に帰る途中のスマートフォンから覗き見ている可能性だってあるでしょ。トイレでも、ラブホテルでも。里帰りした実家の団欒、受験を控えて関数を覚えながら、勉強机で見てるかもしない。それぞれの環境でDOMMUNEと共に日常時間軸を堪能する第二の現場と第一の現場が交流しているのがタイムライン。その三つの現場が同時に進んでいて、どの現場もかけがえのない生であることがDOOMUNEの考えていた新しいコミュニティの在り方なんです。だからGAKUと違うのは、無数のオーディエンスが外にいるっていうことですよ。もしGAKUの現場で考えるなら、教育の現場がエンターテインメントになっていればDOMMUNEと同じ構図を作れるけど、そうじゃないよね。あくまでも講師と生徒の関係。登壇している講師は現場の空気を統率して活性化させないといけない。つまりエンターテインさせる必要がある。」
(武田)「オンラインで悩むのは、いい授業であればあるほど生徒と向き合う。そうすると地味なんです、絵が(笑)。だから配信できない。配信じゃないですよね。」
(宇川)「当事者にならないと伝わらない。そこがいいんでしょ!」
(武田)「講義の時間なんて1日20分で十分。もう頭に入らないからじっくり一人一人と向き合ってくれる方が結果はいいですね。」
(熊井)「コロナ禍での取り組みみたいな話をすると、全員がオンライン参加の授業もいくつかありまして、その中で違和感に気づいたんですが、フィジカルで授業やっている時って、子供達が雑談してたんです。そこで思った気持ちとかをシェアしながら交流が生まれてくるんだけど、オンライン授業だと余白がない。だから前後に雑談の時間をとったり。案外いい雰囲気ですよね。」
(佐藤)「それって強制ではなくただzoomを開けておくだけ。最初はみんな入ってもドギマギしちゃう感じだったんですけど、そういう時間でzoomの扱い方をみんなで調べてやってみたり。そういう時間でだんだんと慣れてきて、後半には30分前には5,6人いたりもしました。それがすごいよかった。」
(宇川)「その交流めっちゃ重要ですね。集まっている生徒は住んでいる場所も年齢もバラバラなんでしょ。」
(佐藤)「そうですね。そこのクラスは中1~中3の皆さんです。」
(宇川)「中1と中3って存在が別次元ですよね。全然違いますね。何人?」
(佐藤)「9人です。」
(宇川)「9人、いい数字ですね。向かい合って教えられるのは10人以内。」
(武田)「どうやっても15人くらいが限界なんじゃないかって。」
(宇川)「僕は30人までいけます。でも30人を超えたらもう個人としての認識があやしくなる。」
(佐藤)「GAKUの先生は生徒一人一人と向き合うっていう話があったと思うんですけど、その授業は一人の課題講評に30分とかかけたりして。それで9人で授業時間大幅オーバーみたいな。」
(宇川)「受講生は喜んでいると思う。9人はすごくいい数字なんだよね。」
(熊井)「ちなみに10人くらいがいい数字。30人がいけるっていうのは、一人一人と向き合うのに最適な人数とか最大の人数?」
(宇川)「10人以内だったら一人一人に向き合える。30人だったら3人のグループを10作ってもらって、もしくは10人のグループを3、もしくは5人のグループを6作ってもらって、一組一組に向き合えるってう意味。だから個人に真剣に向かいあうなら10人以内である必要がある。10人以上ならグループに対して真剣に向かい合います。」
(熊井)「宇川さんの教師論面白いです。」
(宇川)「僕(教師歴)長いですからね(笑)。審査も沢山やっているし、学生の現在のクオリティも映像に関しては毎年把握しています。」
(武田)「実際どうなんですか?若い人たちと話していて、器用な人は器用にできる。でもそれでいいのかどうかっていうのがわからない。」
(宇川)「それって芸術表現がしたいのかデザインがしたいのかで変わってくる。デザインがしたいなら技巧を極めればいいからアドバイスの仕方も変わってくる。芸術はオリジナリティの問題なので、下手でも全然ありですし、作品を作らなくても概念構築だけでもいい、独自性さえあれば。なので教えかた変わっていきますよね。でもどちらにせよ独自性は重要なのでそこを軸にアドバイスして行くことはできますよね。」
(武田)「「これでいいのだ」に繋がっていきますね。」
(宇川)「もちろん。」

試行錯誤しながら新しいシステムを

(熊井)「人間の基盤の話と、デザイナーとして、あるいは美術家としてみたいな生業の話など、いくつかアプローチがあると思うんですが、その話の流れもありつつ、宇川さんがメディア空間の実践としてやられてきた部分の延長線上にメディア実践としての教育みたいな見え方ってあるのかしら?宇川さんは教育をどのように見ていらっしゃるのかしら?みたいな。」
(武田)「「10年前に始めたライブストリーミングはいまはもう当たり前になった。これからのメディアは教育なんだ」と宇川さんがおっしゃっていて、その話をどういう意味だったのかをお聞きしたいなと。」
(宇川)「自分が言っていた意味としては、まず現在、大学が専門学校化しれているんですよ。思想や哲学を教える環境がどんどん失われていっている。だからなおさら思想や哲学を練りこんだカリキュラムを伝えるには独自で教育機関を立ち上げないと、もう大学という制度自体が限界かと。私塾だったりストリーミングを軸にサロンとして構想していた新しい大学の形だったり。様々な形態を持って着地していければいいなと。大学が専門学校化していることに自分自身が耐えられなくなったっていうことが本心かもしれない。年々歳をとっていくと、育欲もネクストレイヤーに到達していきます。さっき話した鏡ばりの蔵の中には、よりディープなアーカイブが構築されているわけですよ。そのポストパンデミック以降の使い道を更新しないといけない。それがGAKUとDOMMUNEの共通項。GAKUもシステム自体をオリジナルで作っているわけじゃないですか。それがすごいところ。」
(武田)「参考にさせていただいているところはたくさんありますが(笑)。僕たちも情報を発信しないといけないからまさにこう言うポッドキャストを始めたりとか。普通に授業をやっているだけだったら難しいよねって言う点はあるので、「自習室」って言う取り組みで10代を集めて、10代が発想するイベントをやってみようとか、いろいろな取り組みを試行錯誤しています。」
(宇川)「試行錯誤しながら新しいシステムを作っていくのが重要で、それはDOMMUNEも一緒なんですよね。既存の教育システムは難しい。特にコロナ禍において、学ぶ側も気づき始めてる。」

ボーダーを飛び越えていく

(熊井)「ぜひ次は10代の方と一緒に。」
(武田)「いきなり宇川さんと話すのは10代が緊張するんじゃないかと(笑)。」
(宇川)「毎年新しい19歳を受け入れてきたんですよ。あれも10代。(GAKUの生徒は)13,14歳とか?」
(武田)「高校生もいます。」
(宇川)「全然大丈夫。普通でしょ。」
(熊井)「改めて重ねて御礼を。GAKUに通っている10代はDOMMUNEに遊びに行っていいよって宇川さんがおっしゃってくれています。」
(宇川)「もちろん!いつでもいいんだよ。」
(熊井)「10代もスタッフもインスピレーションをいただいていて、それって街が持っている魅力。」
(武田)「お隣さんですね。」
(宇川)「昔はそんな感じでしたよね。映画館とかに入れてくれたり。」
(熊井)「まさに渋谷はそんな感じでしたよね。」
(宇川)「明治、大正、昭和はね(笑)。」
(熊井)「ある種ボーダーを飛び越えていくって言うことを身をもってやってくださっているおかげでGAKUに通う10代がそういう機会を得ている。この9階の在り方の魅力があるなと思っています。」

 

クリエイターゲスト:宇川直宏
聞き手:武田悠太、佐藤海(GAKU事務局)
MC:熊井晃史(GAKU事務局)
収録日:3月22日(月)*感染拡大防止対策を徹底した上で収録しました。
ジングル:newtone by Mecanika [MARU-169]

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宇川直宏